世界の終わりにむけての準備。そしてあたらしい世界はふたたび始まるのか?3
 ズジスワフ・ベクシンスキも、もちろんモンス・デジデリオやジョン・マーティンら廃墟画家の系譜の中に位置づけることができるだろう。ただし彼が徹底的にニヒリズムに貫かれた現代画家である点において、幻想的な作風を持った歴史画家や宗教画家たちとは決定的に異なるということも強調しておかなければならない。
 モンス・デジデリオもジョン・マーティンも世界の終焉(あくまでキリスト教的世界観において)すなわち新約聖書の黙示録的世界におけるハルマゲドンを描いているのだが、それは後に千年王国誕生によって復活が約束された世界でもあった。対してベクシンスキの終末世界はどうであろうか? ベクシンスキがキリスト教世界で育った人間であったとしても、彼の絵の中ではもはや聖書が預言する千年王国をなぞることはない。
 世界は崩壊したまま打ち捨てられ、再生の兆しさえ描かれない。都市文明の廃墟の傍らで、たき火を囲む餓鬼と化した人間が哀しみの表情すら浮かべることもなく、暗黒世界の日常を淡々と過ごしているばかりである。 
(『ベクシンスキー』所収)

 死や損壊の表現の他にベクシンスキ作品で気になるモティーフがある。それは家族崩壊の図だ。ベクシンスキは家族とおぼしき親子を互いに手を取り合い、抱きしめ合い、時にはミイラ化した姿で幾度となく描いている。事実ベクシンスキは息子トマシュを溺愛していたようで、息子も父の作品をトメック・コレクションとして多数所有し崇敬していた。息子の拳銃自殺の後、ベクシンスキは部屋の壁に息子宛の手紙をピンで留め亡き我が子と語り合っていたと伝えられる。(『ベクシンスキー』所収)(『ベクシンスキ作品集成 I 』所収)
 ブルジョワジーや貴族階級が多かったベルエポック時代のシュルレアリストたちとくらべると、ベクシンスキの出自はある意味平凡な中産階級といえる。美しい妻ゾフィアはベクシンスキの写真時代の重要なヌード・モデルをつとめている。
(いずれも『作品集成 I 』所収)
 愛らしい息子トメック(トマシュの愛称)、そして良き父ズジスワフの家族写真は、ゴッホのような極貧に喘ぐ芸術家譚とも無縁な、ごくごく普通の幸せに満ちた現代の芸術家家族に思える。(『作品集成 III』所収)
 しかし、ベクシンスキの家族が20世紀の終わりに迎えた運命は、過酷なものであった。1998年には妻ゾフィアに先立たれ、翌年鬱病を病む息子の拳銃自殺、そして自らも2005年、知人の息子らに金を無心され刺殺されてしまうのである。
 ベクシンスキの家族だけが悲劇的だったわけではない。ヨーロッパ文明/高度市場主義が行き渡った世界中のどの家族も、今、例外なくベクシンスキの家族と同じ、命運のただ中に置かれている。ベクシンスキが描いた終末世界も彼の家族も、われわれの鏡そのものなのである。ついに世界がそして家族が崩壊してゆくどうしようもない哀しみをベクシンスキはひたすら生涯をかけて描き続けていたように思う。(いずれも『ベクシンスキー』所収)(『作品集成 II』所収)
| 編集部 | ベクシンスキー | comments(0) | trackbacks(0) |
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