世界の終わりにむけての準備。そしてあたらしい世界はふたたび始まるのか?2
2010.06.03 Thursday 17:00
我々がテレビ・新聞で知る昨今の地震や噴火の情報は非常に限られている。ひとたびネットで情報を追えば、世界中では、宏観現象は言うに及ばず、地震・噴火の報告事例がたくさんなされていることに驚くだろう。もちろんネットの発達によって今まで知り得なかった情報が広く集まってくるようになったのは事実だが、地球内部では確実に大規模な地殻変動が起こっており、アイスランド、中南米、アジア太平洋地域、中国内陸部ではこれからも大規模な地震、噴火が起こることが懸念される。
アイスランドのエイヤフィヤトラ火山爆発。近隣の巨大なカトラ火山への飛び火が懸念される。
中米グアテマラのパカヤ火山の爆発
南米エクワドルのトゥングラワ火山
旧トレヴィル時代のピナコテーカ・シリーズ中、昨年後半、『モンス・デジデリオ』『ジョン・マーティン』各画集をあえてピックアップし、相次いで復刻した。直接的にはこうした字義通りの天災の発生を預言するためではなかったが、ただ大地震や噴火という象徴的な天変地異(カタストロフ)がこれから頻発するのではないか、という危機感は非常に強かった。当時二冊の画集を復刻することの意義はといえば、あくまでアレゴリーとしてではあるが、急迫する世界(数百年来地上に行き渡ったヨーロッパ文明―わけても高度市場主義経済や金融資本主義)の終焉あるいは崩壊が地球規模で起こりつつあることを、モンス・デジデリオやジョン・マーティンの恐るべき芸術的想像力になる廃墟遺産を通して警鐘をならすことがどうしても重要だと思われたためである。
以前紹介したローランド・エメリッヒ監督の『2012』もマヤ暦を映画製作のアリバイにはしているが、あくまで欧米世界(東西を問わずそれが覆い尽くしたあまねく世界)が迎える運命(DOOM)の視覚化として理解されることを狙っていたのではないか、とも思っている? 莫大な資金を必要とするハリウッドの映画製作ではやはりこれから起こることをストーリーに織り込んで映画を時宜性に富んだエンタテインメントに仕上げることが求められるだろう。資金の出し手やその関係者は事前に何が起こるか(アジェンダ)を熟知しており、それにあわせて興行を打つはずだろう。その意味でも昨年内に公開しておく必要があった映画なのではないだろうか。これ以外にも、インフル禍などいくつか世界の変調を示す事件や事態が矢継ぎ早に発生していた2009年、『モンス・デジデリオ』『ジョン・マーティン』復刻の緊急性には確信めいたものがあったのである。そして今年、この二冊の預言的な芸術性はますます輝きを増しているのではないかと思う。
余談ではあるが、もうひとつ気になる映画がある。オリバー・ストーン監督の『ウォール街2』だ(2010年9月公開予定)。マイケル・ダグラス演じる主人公ゴードン・ゲッコーはいわば強欲資本主義の権化のような人物(「強欲は善!」が信条)で、前作『ウォール街』(1987年公開)では貪欲なマネーゲームの果て、経済犯として獄につながれてしまうのだが、21年後、出所したゲッコーが金融の世界に舞い戻ってくることであらたな物語が展開する。当初4月の公開予定が、9月になった。実は1929年にも『ウォール街』という映画が公開されている。この年は世界恐慌が起きた年。87年『ウォール街』公開年にはブラックマンデーがあった。NY株式市場が過去最大規模の暴落をし、あわや世界恐慌か、という一大経済事件だった。2010年の9月に再設定された『ウォール街2』の公開は、はたして何か特別なアジェンダを前提にしているのだろうか? 世界にはこれから何が起きるのかを知りうる立場の人間が少数ながらいるのかもしれない。
ふたたび『モンス・デジデリオ』が登場した17世紀に想いを馳せてみたい。当時、もはやイタリアの商業都市文明が栄華をきわめたルネサンスの時代は遥か昔に過ぎ去り、ナポリを含めいまだ統一国家としての体裁すら備えていないイタリア半島の諸国は、隣国フランスやスペインにたえず脅かされ蹂躙され、荒廃していた。モンス・デジデリオの絵はそんな時代に描かれたのである。ギリシャ・ローマそしてイタリア・ルネサンスの栄光は潰え、崩壊するその刹那に凍り付いたかのような都市の幻影。モンス・デジデリオの絵はそんな都市文明の黄昏を美しいまでに描ききったのである。それでは19世紀『ジョン・マーティン』のイギリスはどうだったのだろうか? 18世紀、植民地戦争と産業革命の覇者だったイギリスも徐々に後発のドイツ、そしてアメリカにその地位を奪われて行く。工業化・都市化による環境破壊や低所得者層の大量発生は、かつての輝かしき大英帝国を産業資本家たちの強欲によってスモッグで薄汚れたスラムへと変貌させてしまった。晩年を迎えたジョン・マーティン畢生の大作「神の大いなる怒りの日」ほか三部作は1850年代、まさに大英帝国落日のセンチメントを身近に感じながら描かれたのではないだろうか?
『モンス・デジデリオ画集』
『ジョン・マーティン画集』
アイスランドのエイヤフィヤトラ火山爆発。近隣の巨大なカトラ火山への飛び火が懸念される。
中米グアテマラのパカヤ火山の爆発
南米エクワドルのトゥングラワ火山旧トレヴィル時代のピナコテーカ・シリーズ中、昨年後半、『モンス・デジデリオ』『ジョン・マーティン』各画集をあえてピックアップし、相次いで復刻した。直接的にはこうした字義通りの天災の発生を預言するためではなかったが、ただ大地震や噴火という象徴的な天変地異(カタストロフ)がこれから頻発するのではないか、という危機感は非常に強かった。当時二冊の画集を復刻することの意義はといえば、あくまでアレゴリーとしてではあるが、急迫する世界(数百年来地上に行き渡ったヨーロッパ文明―わけても高度市場主義経済や金融資本主義)の終焉あるいは崩壊が地球規模で起こりつつあることを、モンス・デジデリオやジョン・マーティンの恐るべき芸術的想像力になる廃墟遺産を通して警鐘をならすことがどうしても重要だと思われたためである。
以前紹介したローランド・エメリッヒ監督の『2012』もマヤ暦を映画製作のアリバイにはしているが、あくまで欧米世界(東西を問わずそれが覆い尽くしたあまねく世界)が迎える運命(DOOM)の視覚化として理解されることを狙っていたのではないか、とも思っている? 莫大な資金を必要とするハリウッドの映画製作ではやはりこれから起こることをストーリーに織り込んで映画を時宜性に富んだエンタテインメントに仕上げることが求められるだろう。資金の出し手やその関係者は事前に何が起こるか(アジェンダ)を熟知しており、それにあわせて興行を打つはずだろう。その意味でも昨年内に公開しておく必要があった映画なのではないだろうか。これ以外にも、インフル禍などいくつか世界の変調を示す事件や事態が矢継ぎ早に発生していた2009年、『モンス・デジデリオ』『ジョン・マーティン』復刻の緊急性には確信めいたものがあったのである。そして今年、この二冊の預言的な芸術性はますます輝きを増しているのではないかと思う。
余談ではあるが、もうひとつ気になる映画がある。オリバー・ストーン監督の『ウォール街2』だ(2010年9月公開予定)。マイケル・ダグラス演じる主人公ゴードン・ゲッコーはいわば強欲資本主義の権化のような人物(「強欲は善!」が信条)で、前作『ウォール街』(1987年公開)では貪欲なマネーゲームの果て、経済犯として獄につながれてしまうのだが、21年後、出所したゲッコーが金融の世界に舞い戻ってくることであらたな物語が展開する。当初4月の公開予定が、9月になった。実は1929年にも『ウォール街』という映画が公開されている。この年は世界恐慌が起きた年。87年『ウォール街』公開年にはブラックマンデーがあった。NY株式市場が過去最大規模の暴落をし、あわや世界恐慌か、という一大経済事件だった。2010年の9月に再設定された『ウォール街2』の公開は、はたして何か特別なアジェンダを前提にしているのだろうか? 世界にはこれから何が起きるのかを知りうる立場の人間が少数ながらいるのかもしれない。
ふたたび『モンス・デジデリオ』が登場した17世紀に想いを馳せてみたい。当時、もはやイタリアの商業都市文明が栄華をきわめたルネサンスの時代は遥か昔に過ぎ去り、ナポリを含めいまだ統一国家としての体裁すら備えていないイタリア半島の諸国は、隣国フランスやスペインにたえず脅かされ蹂躙され、荒廃していた。モンス・デジデリオの絵はそんな時代に描かれたのである。ギリシャ・ローマそしてイタリア・ルネサンスの栄光は潰え、崩壊するその刹那に凍り付いたかのような都市の幻影。モンス・デジデリオの絵はそんな都市文明の黄昏を美しいまでに描ききったのである。それでは19世紀『ジョン・マーティン』のイギリスはどうだったのだろうか? 18世紀、植民地戦争と産業革命の覇者だったイギリスも徐々に後発のドイツ、そしてアメリカにその地位を奪われて行く。工業化・都市化による環境破壊や低所得者層の大量発生は、かつての輝かしき大英帝国を産業資本家たちの強欲によってスモッグで薄汚れたスラムへと変貌させてしまった。晩年を迎えたジョン・マーティン畢生の大作「神の大いなる怒りの日」ほか三部作は1850年代、まさに大英帝国落日のセンチメントを身近に感じながら描かれたのではないだろうか?
『モンス・デジデリオ画集』
『ジョン・マーティン画集』
